九谷焼いわたやの 「九谷焼教室」
 

●粟生屋源右衛門 山水文木瓜形平卓

 江戸後期に活躍した再興九谷の名工に粟生屋源右衛門がいます。小松市材木町に父の代からの楽焼工房がありましたが、「若杉窯」の主工本多貞吉に師事し色絵釉薬を探究していました。貞吉の没後、文政 7 年(1824)に古九谷窯跡の地に開窯した「吉田屋窯」の主工となって古九谷復興に尽力しました。一方で、自家工房では木工芸品を髣髴とするような色絵の陶器を制作し、茶人や数寄者の好みに応じるなかで、雅趣豊かな作品を制作しました。硯箱や香炉、卓や果ては箪笥まで陶器で成形し、寒色系の絵の具で見事な絵文様を加飾しました。本作は、漆芸品にみられるような「平卓」の形を陶器で再現し、天板には山水画、胴回りの窓絵には花鳥画を確かな画力で描いたまさにイッピン!です。(文・五彩館 館長 中矢)

nomi広報「九谷焼イッピン!ここが見どころ!」2021年7月号

URL:https://www.city.nomi.ishikawa.jp/www/contents/1590632511422/simple/20-27.pdf

 

●若杉窯染付色絵花鳥図平鉢

 江戸後期のいわゆる再興九谷諸窯のなかで、藩の殖産興業のため、磁器生産の大工場化したものが、若杉窯です。現在の小松市若杉にありました。若杉村を治める十村役林八兵衛の瓦窯でしたが、青木木米の弟子だった本多貞吉が若杉近隣の花坂山で磁器原料の陶石を発見し、それを八兵衛の窯で焼いたのが若杉窯のはじまりです。やがて藩の直轄窯となり、職人が全国から集まり、その中に阿波徳島の赤絵勇次郎という名人がいました。本作は「勇」銘があり、彼の作とわかりますが、最大の見どころは、染付紋様に花鳥画の後絵を色絵の上絵付けで足しているところです。地模様や裏模様も色絵が加えられており大変珍しいイッピン!です。(文・五彩館 館長 中矢)

nomi広報「九谷焼イッピン!ここが見どころ!」2021年6月号

URL:https://www.city.nomi.ishikawa.jp/www/contents/1590632511422/simple/22-29.pdf

 

●古九谷色絵花鳥図平鉢

 色絵の古九谷には、紺青・赤・紫・緑・黄の五彩があります。いわゆる五彩手と呼ばれるもので、赤は控えめに用い残り四彩の寒色系の色合いでまとめます。青手の古九谷が緑と黄を多用し皿鉢全体を塗り込めるのとは違い、日本画の花鳥山水のように背景の余白を残します。本品も筆致は一見ラフに感じますが、周縁の牡丹花葉と水玉そして裏面の唐草 文様はとてもリズミカルです。見込の花鳥山水画の月・連山・花鳥は、遠景・中景・近景のセオリーどおりに描き分けられています。習熟した絵師の技量を持った画工ではないかと思われます。江戸前期の古格を持った色絵磁器「古九谷」のイッピン!です。

nomi広報「九谷焼イッピン!ここが見どころ!」2021年5月号

URL:https://www.city.nomi.ishikawa.jp/www/contents/1621929674684/simple/23-29.pdf

 

●古九谷青手芭蕉図平鉢

 古九谷とは、今から 360 年以上も前、大聖寺藩領九谷村で焼かれた九谷焼をいいます。ときは戦国末期の遺風が残る江戸前期です。前田家による加賀文化が醸成される中、九谷村で磁器原料が発見されたのが契機となりました。力強い骨描きと透明感ある濃厚な色釉薬が最大の特徴です。本品の芭蕉の葉脈や縁の木目文様は力強い筆致です。縁の下り藤は、 雅びさを醸し出しています。手前の「太湖石」や地文様の丸紋(画像参照)は、まるで運筆を楽しんでいるような線描でありながら全く破綻がなく、高い芸術性を見出すことのできる

nomi広報「九谷焼イッピン!ここが見どころ!」2021年4月号

URL:https://www.city.nomi.ishikawa.jp/www/contents/1619153721057/simple/27-33.pdf

 

●彩色金襴手 花鳥花卉文沈香壷(かちょうかきもんじんこうつぼ)について

 沈香壷(じんこうつぼ)とは香木を入れておく大振りな蓋付きの壺で、本来中国では来客の折、蓋を開けて香木の香りを室内に漂わせて客をもてなしたそうです。
 後年、そうした使い方をせずとも、単に鑑賞用としてその口が立ち上って肩が張り胴から裾にかけてすぼんだ蓋付きの美しい形状のものを沈香壺と呼んでいます。近代以降、大型化し伊万里焼などで制作され、近年では、ホテルのロビー・大広間・ホールや床間・玄関・応接間・リビングなどに飾られるようになりました。
 この壷(ページ参照)は明治の初めごろのもので九谷庄三の彩色金襴手の様式で花鳥画が丹念に描かれています。本来輸出用に一対で制作されたものでしょう。1 点のみで伝世しましたが、大切にされたと思われ、割れの補修跡が見られます。それも金属のかすがい留めで近年ではあまり見ない手法です。我が国では陶器の割れ補修は漆の金直しが主流で、この中国由来のかすがいによる陶磁器補修法は江戸末には廃れた技法とされています。

nomi広報「九谷焼探訪」2021年3月号

URL:https://www.city.nomi.ishikawa.jp/www/contents/1616648554946/simple/20_25.pdf

 

●小野窯 百老図平鉢について

百老図はめでたい吉祥紋様として、工芸品の意匠として好まれて使われてきました。その潮流のもとは「文人趣味」にあります。教養を積んだ文化人らが理想とした暮らしぶりの範を中国の文人たちに求めたことに始まります。煎茶を好み書画を愛し、静謐な自然環境の中で仙人の悟りを求めます。世塵から離れた山林に雅遊する老人らは、仙人の域に達した人たちであるとともに、哲学的談義である清談や琴棋書画にふける、隠士(山林で理想を追求した人々)と解釈できるのです。  絵皿は、九谷庄三が若い時に小野窯で描いたものと伝えられています。百老とは沢山の老人という意味で、実際には百人描かれていません。想像を逞しくすれば、もう一枚、絵がわりの百老図皿があったのかもしれません。面白いのは、この白磁の大皿には窯キズ(本窯焼成時に原料の土や釉の関係でついたキズ)があるのですが、それをうまくキズ跡に沿って老人が持つ杖として描いています。上絵でキズを隠す工夫です。素地を大切にした九谷だからこその絵付けといえます。

nomi広報「九谷焼探訪」2021年2月号

URL:https://www.city.nomi.ishikawa.jp/www/contents/1614248689732/simple/21_25.pdf

 

●第5回九谷ぬり絵コンテスト グランプリ 沼田実優さんの作品

今回の九谷ぬり絵のお題は、松山窯 「蕪に遊禽図平鉢」。蕪にとまる雀が可愛らしく描かれた江戸末期の名品です。「雀」は鳥の中でも群れをつくり行動することから、古くから繁栄や豊作の意味が込められた吉祥柄として用いられています。

nomi広報「九谷焼探訪」2021年1月号

URL:https://www.city.nomi.ishikawa.jp/www/contents/1611629801102/simple/1_5.pdf

 

●九谷焼陶彫(置き物)事始め

加賀藩窯だった「若杉窯」が明治8年(1875)廃窯したあと、同じエリアの能美郡八幡村(現在の小松市八幡)に松原新助(1846 〜 1899)という工人が素地と絵付けの分業制を提唱して新窯をつくりました。それは明治の貿易九谷の素地制作を専門に請け負うためで、試行錯誤の末、熱効率の良い西洋式の窯を取り入れた窯元となりました。貿易九谷はジャパンクタニとも呼ばれ、煌びやかな色絵磁器で形は皿鉢や花瓶のみならず、東洋趣味のオブジェとしての器物が欧米の屋敷内に飾り映えするため求められました。実用品に形を借りた飾り物、調度品でした。中でも大香炉には優れた絵付けだけでなく、素地自体に大きな特徴がありました。それは蓋の摘みなどに、龍などの動物や唐人物の大きめの陶彫を取り付けたのでした。そのために松原新助は金沢や他県などからわざわざ高名な彫刻師を窯に雇い入れ、やがて彫刻の部分だけの原型を作り、それを製品としたところから、八幡エリアが今日に至って九谷焼の置き物産地として有名になっていったのです。

nomi広報「九谷焼探訪」2020年12月号

URL:https://www.city.nomi.ishikawa.jp/www/contents/1608857580810/simple/26_29.pdf